大学の教授が研究医として歩みだした頃のことを回顧します。
*第1回*   (H23.11.24 UP)  研究医養成情報コーナートップページへ戻る
今回は東京大学大学院医学系研究科長・医学部長 宮園 浩平 先生(分子病理学) です。
  『基礎研究への道:タマゴがヒヨコになるまで』

      
           東京大学大学院医学系研究科長・医学部長(分子病理学教授) 宮園 浩平
        

  1991年にロンドンで行われたTGF-βに関する国際ミーティング。前列一番前右端に座っているのが筆者、筆者の後ろで立っているのがAnita Roberts博士。 

学生のころ
 
私は東京大学医学部医学科を1981年に卒業し、内科で研修を2年間行った後第3内科に入局、血液病学を専門とした。1985年に初めてスウェーデンに留学し、7ヶ月で帰国したが、基礎研究を続けたくて翌年にまたスウェーデンに留学。1988年に帰国し、臨床に戻ったものの、やはり基礎研究がしたくて1990年に再び同じ研究室に留学した。そこで基礎研究一本で進むことにし、1995年に帰国、今日にいたっている。
 私は医学生の頃から基礎研究に興味があった。当時からがん研究をやりたかったのだが、学生時代は自分の希望にあった研究室がなかなか見つからなかった。私はそれほど器用な方ではないので、医学部の講義を受けながらその合間に研究室に入って研究をするということがうまくできなかった。学生時代は少しゆっくりしたかったというのが正直なところかもしれない。今のような学生時代に研究を行えるようなコースがあればもう少し早くから研究の世界に飛び込んで、基礎的な研究手技をしっかり学び、研究者としてもっと多くのことを経験ができたかもしれない。教授となったいま、学生の皆さんに、大学を卒業してすぐに基礎研究をすべきか、それとも臨床を数年やった方が良いかと時々聞かれるが、私自身には明確な答えはない。私にとっては卒後に内科の病棟や研究室で過ごした毎日は大変充実したものだった。血液病学を専門とし、多くのがんの患者さんを診療したことは貴重な経験であり、私の研究の上でも重要なモティベーションとなっているので結果的には大変良かったと思っている。

スウェーデンで
 1985年にスウェーデンのウプサラ大学のLudwig癌研究所でDr. Heldinのもとで研究を始めた。28歳のときである。内科の医局員のときは、診療の合間に実験をしていたので、スウェーデンで一日中実験ができる毎日が夢のようだった。Dr. Heldinのグループは留学当初は10人くらいだったが、周りはほとんどが私より年下の大学院生であった。私は内科の研究室である程度実験の経験があると思っていたが、実際には知らないことばかりで、若い大学院生に電気泳動、高速クロマトグラフィーなどいろいろなことを教えてもらいながら実験を行った。当初はタンパク質の精製が実験の大半をしめていたので4℃のコールドルームで一日の大半を過ごすことも稀ではなかったが、楽しい毎日だった。
 スウェーデンの研究室は研究者が実験をしやすいように様々な面で上手に設計されているのが印象的であった。実験に必要な器具はエンジニアの人たちに相談すると自前で作ってくれる。図書館は24時間開館しており、読みたい雑誌がいつでも読めるし、コピー料金は研究費で払ってもらえるし、実験も勉強も好きなだけできるので、私にとっては理想の研究場所だった。
 Dr. Heldin の指導方針は、私たちの考えを尊重し自由にやらせてくれるというものだった。大学院生はサボったからと言って怒られることもないし、説教されることもない。ただ、Dr. Heldinと話すと、いろいろなアイデアが生まれてくるので2週間に1回程度のボスとのミーティングを楽しみにして、それまでに何か新しいデータを出したいと頑張っていた。ミーティングでは実験結果を一つ一つ丁寧に検証してディスカッションし、次にどのような実験をするかを話し合った(それだけお互いに時間があったということだろうが)。自分が研究室を持つようになって同じことをしようと努力してきたが、なかなかうまく行かず反省の毎日である。

 TGF-β
 私はスウェーデンにいるときにTGF-βというタンパク質に出会い、それ以来ずっとTGF-βとその関連タンパク質の研究を行ってきた。「β」という文字をパソコンで打った回数では世界でもトップクラスかもしれない。TGF-βの研究を始めるとき、周囲のポスドク仲間から、すでに多くの研究者がTGF-βを研究しているので、競争が激しすぎて今更始めてもよい仕事はできないのではないかと言われた。しかし、当時、増殖因子の研究が盛んな時期に、増殖抑制因子であることが明らかとなったTGF-βは私にとってたいへん魅力的に見え、迷わずTGF-βの研究を開始した。実際にはTGF-βの研究を通じて生命科学のさまざまな進歩を間近に経験しつつ、TGF-βをさまざまな角度から研究しながら今日まで研究を続けてきたと言える。
 TGF-βの研究分野の先駆者であるAnita Roberts博士(米国NIH, 2006年5月没)は我々に大きな影響を与えてくれた魅力ある女性研究者であった。世界中の研究者が競争して TGF-βを純化しようとしていたとき、彼女はノーベル賞学者の Christian Anfinsen 博士から「think big」とアドバイスされたそうある。そこで、通常では考えられないような大量のヒトの血小板やウシの腎臓から純化精製を行い、ついに TGF-βを純化しそのアミノ酸配列を決定することができたと書いている。せっかく研究者となるならば、大きな目標を掲げて教科書に載るような成果を上げることができるよう、若い研究者の卵にアドバイスしたい。そしてRoberts博士のような素晴らしい研究者と知り合いになることができることも研究の大きな魅力だということを付け加えておきたい。

終わりに
 最後に、もし興味があれば私たちの研究室のAnnual Reportをご覧いただきたい
http://beta-lab.umin.ac.jp/annual/ar-top.html)。どんな論文を書くか、昨今の留学事情などなど、私のその時々の考えを徒然なるままに書かせてもらっている。私は、卒業直後に何を専門としたかによって、研究者としてのものの見方・考え方が、かなり影響されると思っている。組織学や病理学を最初に勉強した研究者の中には、細胞の形態について他の研究者とは全く違った独自の見方を持っている人に出会う。私自身は基礎的な細かいことを議論することはどちらかというと苦手で、卒業後に内科に所属したことで、病気との関連や治療法の開発などに興味が向く。スウェーデンでは基礎研究者と過ごす時間が多かったことで少しは基礎研究者としてのものの見方・考え方も学ぶことができたのではないかと思っている。

  

筆者略歴

1981年  東京大学 医学部 医学科 卒業 
1989年  医学博士(東京大学医学部)
1985年  スウェーデンウプサラ大学医化学客員研究員
1986年  スウェーデンウプサラ大学 ルードヴィヒ癌研究所研究員 
1988年  東京大学医学部第三内科助手 
1990年  スウェーデンウプサラ大学 ルードヴィヒ癌研究所研究員 
1993年  スウェーデンウプサラ大学 ルードヴィヒ癌研究所主任研究員
1995年  財団法人癌研究会癌研究所生化学部部長 
2000年  東京大学大学院医学系研究科分子病理学分野 教授 
2011年 東京大学大学院医学系研究科・研究科長